ストレスに負けず自分らしく素直に生きる方法2.0

自分の幸福に責任を持てば、望みは叶わなくても幸せになれる

time 2016/05/09

自分の幸福に責任を持てば、望みは叶わなくても幸せになれる

幸せは誰かが持って来るものでも、天から降ってくるものでもない

自分を幸せにする覚悟はありますか?

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ドラマでよくこんなシーンがあります。

「お嬢さんを僕にください!」と頭を下げる、若い男性。彼は妻となる女性の人生の責任を背負っていく覚悟で、彼女の父親に向かって頭を下げています。

誰かの幸福について、責任を持つこと。それは、自分自身に対しても同じではないでしょうか。

「私の心は、私が幸せにします! どんなことをしても必ず幸せにします!」

自分の幸せに対する責任として、これくらい言い切ってあげていいと思うのです。

幸運の女神は、自ら行動する者を愛する

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自分を幸せにしてくれる誰かを待つ。幸運が舞い降りてくるのを待つ。――こういった受け身の姿勢では、幸運の女神はなかなか微笑んでくれません。

待っているだけではなく、自ら動いて探しに行く。自分自身の手で、自分を幸福にしてあげましょう。

人生は長いようで、短いもの。不幸をぼやいているうちに終わってしまったら、なにもしなかったことを後悔するのではないでしょうか。

幸福とは心の感じ方。そのときの状況や生い立ちで決まるものではない

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不幸な人の口癖は、「もし、●●だったら私は幸せになれるのに」です。うちの両親も、「お金持ちだったら」「健康だったら」「政府がもっとしっかりしていたら」など、数え切れない「もし……だったら」を口にします。

しかし、それらの望みが叶ったところで、「心が幸福を感じられるか?」は別問題。お金ひとつをとってみても、働かなくていいほどの資産を持ちながら、幸福を感じられないお金持ちはいくらでもいます。

つまり、状況が満たされたからといって、幸福になれるとはかぎりません。貧乏でも幸福を感じている人はいます。結局のところ、個々人の心の持ち方次第なのです。

心の持ち方は、人生に対して受身か、自分から向かっていくかで決まる

では、その心の持ち方はなにで決まるかというと、”人生に対する姿勢”ではないでしょうか。

人生とは自分からつかみにいくものか、その時々の環境に流されるままに生きるものか。あなたはどちらだと思いますか?

人生に対して能動的であるか、受動的であるかによって、同じ状況でも物事の受け取り方が変わってきます。

現にこれを書いている私は、安定が保証された仕事もなく、貯金もなく、友人だって5本の指で足りるくらいしかいません。家では、言い争う両親の罵声が聞こえないよう耳栓をして暮らしています。

それでも、多少の不運はあるにしろ、不幸だとは思っていません。未来に希望はあるし、どちらかといえば心は幸福の方に傾いています。

あえて幸福を探しに行かない人の意外な理由

人生に対して受け身な人は、天から幸運が降ってくるのを待ってるだけ

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私の両親は、人生に対して完全な「受け身タイプ」です。自分から、人生に向かっていったことはありません。「宝くじでも当たらないかなぁ」と待ち続けて、かれこれ30年以上になります。家が貧乏なのも、「世の中のせい」「政治のせい」ということで結論づけています。

もちろん、政治や経済状況が我が家の家計に無関係とは言えません。でも、不思議でならないのは、ふたりがまったくもがかないこと。たとえるなら、湯が熱くてたまらないとぼやきながら、決して浴槽から上がろうとはしないのです。せめて水を入れるとか、具体的な対策をとってもいいはずなんですが。

世の中への不満を毎日1時間は愚痴る暇があるのに、自己努力の時間はないと言うのが不思議でなりません。

行動しない人は、無意識のうちに変化を恐れている

お金持ちになった人たちの体験談を読むと、よく共通して出てくる話があります。

変化を受け入れる覚悟のない人は、決して成功できない。そして、現状に不満を抱きつつも行動しないのは、心の奥底では変わりたくないと望んでいるから。本人も気が付かない、無意識のうちに。

両親はよく言います。パートが見つかったら、健康になったら、年金が入ったら、「私は変わる。あれをする、これをする」のだと。でもその状況につながるための小さな努力さえしません。

どうして口先ばかりで行動しないのかと、不思議でなりませんでした。でも心の奥底では今の状態を望んでいるのだと考えると、納得がいきます。

いくら不快な環境であっても、長い時間をかけて人は順応します。そしていったん慣れてしまうと、今度はそこから別の環境へ移るのに心理的抵抗を覚えるようになるそうです。新しい環境が傍目にはどんなに快適なものであったとしても。あぁ、それなら変わる気がないのもわかります。

自分の幸福に責任を持つことというは、自分から未来を探しに行くということ

生まれ育った環境や健康に恵まれない、という不運はあります。でもだからといって、自分を不幸にしたままでいい理由にはなりません。

待っていても、現状は変わらない。私は幸せになりたい。だったら、自分から”幸せの青い鳥”を迎えに行くしかない。

自分から探しに行かなければ、幸福なんていつ降ってくるかわかったものじゃありません。少なくとも、世の中の不条理をぼやくだけの人のところに降ってくるような、安っぽい代物ではないと思うのです。

青い鳥がどこにいるのか、存在するのかもわからないけれど、愚痴りつつ待っているよりはずっといい。旅の途中に、青い鳥とは違う幸運にも出会えるかもしれない。だから、前へと進んでみる。

――これが、自分の幸福に責任を持つということではないでしょうか。待つのではなく、自分から幸せを求めて旅に出るのです。

この世はおとぎ話ではないから、青い鳥を見つけてハッピーエンドとは限りません。それでも歩き続けていれば、待ち続けるだけの一生よりは多くの物を得られるような気がします。

行動と幸運を呼ぶ偶然には相関性がある

行動すれば、セレンディピディ(偶然)の確率が上がる

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待っているだけの人のところに幸運は舞い降りない、と先ほど書きました。「この世の中は、がんばった人が報われるような甘い世界じゃないよ」、きっとそう感じた人も中にはいるでしょう。

ところが、まったくの理想というわけではないらしいのです。

「セレンディピディ」という言葉を聞いたことはありますか?

セレンディピディとは、ひとことで言ってしまうと「偶然の一致」です。ノーベル化学賞を受賞した田中教授のように、偶然から世紀の発見をした科学者の話は世界中にあります。身近なところでは、醤油も偶然から生まれた食品です。実は醤油は、味噌を作ろうとして失敗した過程で生まれた産物でした。

日本で醤油が誕生したのは鎌倉時代の事です。禅宗の僧侶であった覚心〔かくしん〕という人物が中国から持ち帰った味噌の製法を人々に伝授している時に、たまたま仕込みの間違いで水分の多い味噌ができてしまい、その水分を舐めてみたらとてもおいしかった、というのが始まりです。
『日本文化いろは事典』より引用

この”偶然”という代物は、当然ながら物理的法則とは無縁の存在です。残念ながら、なにかをすると偶然が起きる、という公式はありません。

しかし、偶然が起きやすくなることは現実にあるらしいのです。それは、望みを胸に抱いて行動していること。「夢が叶えばいいな」と漠然と考えている人より、実際行動を起こしている人の方がセレンディピディを引き寄せやすいとか。

やはり幸運の女神は、行動する人へ優先的に微笑みかけるようです。

なにも得られなかった旅にも意味がある

幸福の青い鳥といえば、メーテルリンクの童話『青い鳥』が有名ですね。

メーテルリンクの童話『青い鳥』のサムネイル

幼い兄妹は、幸福をもたらしてくれる青い鳥を探して旅に出ます。様々な世界を巡って冒険を重ねたものの、結局青い鳥を連れ帰ることはできませんでした。ところが、青い鳥は意外な場所にいました。家で飼っていたハトが青い鳥だったのです。

ここで、ちょっとひねくれた大人の見方をしてみます。青い鳥が家にいたということは、旅に出る必要なんてなかったのではないでしょうか? まったくの無駄骨です。 

しかし、よくよく考えるとこの旅は必要なものだったことがわかります。

兄妹はそれまで、家にいるハトが幸運をもたらす青い鳥だと気付きませんでした。毎日目にしてきたにも関わらず、です。旅から帰ってきて、初めてそうと知るのです。

なにも得られなかったふたりの旅は、一見無意味なものに見えるかもしれません。旅から帰ってみたら、なぜだかハトが青くなっていた、というのですから。けれども、この旅がなければ、ふたりは永遠に青い鳥を見出せなかったのではないか、そう思えるのです。

それ自体は失敗に終わった旅が、青い鳥に気付くきっかけをくれたのだとしたら。これもひとつのセレンディピディです。現実世界でも、違う道に進んで徒労に終わることはたくさんあります。けれども、無駄に思える道こそが、セレンディピディへとつながっているのかもしれません。

幸せになりたかったら、自分から一歩を踏み出そう

幸せになりたかったら、自分から一歩を踏み出そうのサムネイル

現状を抜け出したいと思いつつ、なにも行動に移せていないとしたら。無意識のうちにぬるま湯の心地よさを感じていないか、自分に問いかけてみてください。

もし望みを叶えたいとしても、中にはおおよそ叶わないんじゃないかという夢もあります。それでも小さな糸口を見つけてチャレンジしているうちは、「自分の手で人生を変えられるんじゃないか」という希望と、「自分の人生を生きている」という主体性を持ち続けることができます。

このふたつは生きる力の源です。生きる力に満ちていれば、どんな状況でも人は幸福を感じられます。自分を幸せにできます。

もし最終的にうまくいかなくても、できるだけのことを精いっぱいやったのであれば、そうそう後悔は残りません。それでも迷いがあるという方は、こちらの過去記事を読んでみてください。

なにもしないで受け身のままでいると、「人は人生に対して、なにもできないんだ」と悲観的になっていきます。自分を哀れみ、重症化すると世の中を妬んでしまうことも。

そんな状態になるくらいであれば、どんな小さなことでもいい、うまくいく見込みなんてなくてもいい。やれそうなことをやってみてはどうでしょ? それが自分を幸福にするための大きな一歩となるはずです。

どうか忘れないで。あなたを幸せにできるのは、他の誰かでもなにかでもない。あなた自身なのです。

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スミカ

スミカ

子供の頃6年近くに及ぶイジメを経験。大人になってからはなぜか会社運が悪く、お局社会やクラッシャー上司にぶち当たり、トホホな人生を歩む。心の癒しは猫。人友より猫友が多いのがひそかな悩み。

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