人生には引き際を決めなければいけないときがある
かかりつけ医に宣言した、私の”撤退ライン”

「朝ご飯が食べられなくなったら、会社をやめます」
かかりつけ医を前に、そう宣言しました。
私は体質的に胃が弱く、月に1度胃腸科へ通っています。胃腸科ではやはり心を病んでる患者さんが多くらしく、診察時間の半分はカウンセリングです。
「この1ヶ月、どうだった?」という先生の問いかけから診察が始まります。冒頭のセリフは、この1ヶ月の近況報告――どうもヤバいところに転職しちゃったみたいです――を締めくるものでした。
先生はいつもこちらの話を受け止めるだけです。うなずくだけで、自分から口を挟むことはほとんどありません。
でもそのときに限って、こう返してきました。「引き際は決めてるんだね?」と。
離職率数百パーセントなんて聞いてないよ!まさかの大ハズレを引き当てた転職
ワケあり? なぜか人が居付かない職場
半年間の転職活動を経て、やっと決まった就職。しかも異業種からの挑戦で、憧れだった職種に就けました。
ええ、私は幸福でした。――初めの1ヶ月は……。
そこは俗に言う零細企業でした。社長の他に、フルタイムの社員は男性が1人きり。それなのに、わずか数年で20名も退職しているのです。離職率数百%?? ちなみに、この事実を知ったのは、入社してしばらくが過ぎてからのことでした。
昔テレオペをしていた経験がありますが、人の出入りが激しいこの業界でさえ、離職率はせいぜい30~50%でした。
それを上回る高い離職率はなぜ?? 社員さんに聞いても、はっきりした回答は得られません。それでも毎日充実していましたし、あまり深くは考えませんでした。
離職者が相次ぐ理由に納得。スイッチが入ると態度が急変する社長

どうしてそんなに人がやめるのか、ずっと不思議でした。その理由は、自分が彼らと同じ道を辿る過程でわかりました。
遅まきながら事情を語った社員さんによると、「社長のスイッチが入ると、それからみんな1月と持たずにやめてしまう」とのこと。
早い人だと数日でやめてしまうそうで、スイッチが入ってから1ヶ月以上続いている私はよく持っている方だとか。
昼休みに逃亡する人もいるというあたり、どれほど追いつめられていたのか物語っている気がします。――そういうことは早く言ってよ!
社員の精神をペチャンコ! 社長は “クラッシャー上司”
そう。入社して1月ほど過ぎたある日、社長の態度が急変しました。
新人であり、しかも異業種からの転職組である私は仕事でミスを連発していました。
文章を書く仕事だったので、ある意味ミスが目立ちやすかったと言えるかもしれません。誤字脱字、意図の読み違え、文章の詰めの甘さ、エトセトラエトセトラ。
これまではおだやかに指導してくれた社長でしたが、スイッチが入ってから急に言い方がキツくなりました。ちなみにスイッチは入社後1月程度で自動的に入るようです。
毎日2時間以上、心が折れるお説教の日々

こうして、毎日2~3時間の説教を受ける日々が始まりました。社長とテーブルで向かい合い、目をそらすのも気が引けるマンツーマン指導です。
説教の大部分は、私の性格や生き方を引き合いに出して行われます。よく使われる説教の公式は、「(社長が思い込んでいる私の性格や生き方)だから、(ミスの内容)なんだ」というものです。
社長が私について1や2を知っていたとしたら、残りの8または9は推測で決め付けられます。初めの頃は訂正を試みたものの、炎上させるだけだとわかってからはやめました。
もうひとつお説教の槍玉に挙げられたのが、仕事の所要時間です。
20分くらいで書けるかな?と立てた予定に対して1時間かかったりすると、「どうしてこんなにかかった?」と尋問されます。この尋問だけで1時間に及ぶこともあります。「これだけタダ働きか」「給料泥棒」などと言われることも。
会社の建前では、「最初は時間がかかって当たり前。工夫をしながら、少しずつ短くしていけばいい」となっているものの、実際は詰問を受けるだけでした。
ストレスの嵐の中で、心という名の小舟を守る
冒頭の医師との会話からもさらに1月以上、サンドバックな日々が続きました。
これから先、もう履歴書にはなんの自己PRも書けない。長所もスキルも。私に良いところなんて、なにひとつない。そう思うほど自信を喪失していました。
それでもやりたい仕事だから耐えました。
もちろん友人には相談して、愚痴を聞いてもらったり、アドバイスをもらったりしていました。ブラック企業で働いた人の体験談などの本で、厳しい環境での対応法と心構えも学びました。
精神的に折れたら、おしまいだから。それだけはわかっていました。
撤退ラインの考え方
体調に違和感を感じたら、撤退ラインを検討すべし

「体を壊すくらいなら、やめた方がいい」
相談した人の中に、そうアドバイスしてくれた人がいました。持病を抱えている人の言葉だけに、「それはもっともだ」と腑に落ちたのを覚えています。
体調がおかしいと感じたら、それは精神的にもヤバいというシグナルです。もし前兆をとらえたら、万が一を考えて全面撤退のラインを決めましょう。
完全に体が壊れたときには、精神もすでに壊れています。この状態では、次のことを考えようにもまともに考えられない恐れがあります。そうなる前に、今後の身の振り方を決めておくのが無難です。
体が弱い人間は自分の限界が見えやすい
私の場合は、「朝ご飯を食べられなくなる」が撤退ラインでした。胃が弱い体質なので、どこを撤退ラインにすべきかははっきり見えていました。
胃弱体質×ストレス=胃の症状
これが私の胃の公式です。ストレスは症状を悪化させる倍数になります。
体に弱い部分があると、自分の限界を教えてくれるセンサーになります。ストレスで悪化するタイプだとなおわかりやすいでしょう。
むしろ問題なのは、精神的・肉体的にタフな人です。特に、自分の打たれ強さに惚れ惚れしている人は危ないと思います。
心身が強い人は、撤退を検討する間もなく壊れる

いっそのこと体調を崩せば、周囲にも自分自身にも気兼ねなく撤退できるのに――昔、そう思ったことがあります。
今でこそ胃が弱い私ですが、20代の半ばまでは「胃が痛い」とはどういうことなのかわかりませんでした。どんなストレスがかかっても、体のどこも反応しませんでした。
このように前兆がない人は、一気に壊れる場合があります。PCのクラッシュのように、バックアップの対策を取る間もなく壊れてしまうのです。前兆がないので気を付けようもありません。
もしあなたの周囲に、「無理してない?」そう声かけてくれる人いたら、どうしてそう感じるのか相手の見解に耳を傾けてみてください。
今の環境がこのまま変わらず続いたら、自分はどうなるのか。一度立ち返ってみるのをおすすめします。
撤退ラインまで来ても、なかなか退けないのが人間
心が折れそう……。冗談抜きで、朝ご飯を食べられなくなった
お説教地獄が始まって2ヶ月ほどで、私は撤退ラインに達しました。
朝ご飯に、白米を1口、おかずを1口が精いっぱい。これじゃ栄養を取れません。
撤退ラインに到達するまでもう少し葛藤があるかと思いきや、あっけないほど簡単に達してしまいました。
だからかえって、もう少しがんばらなきゃと思ってしまったのです。
軟弱な胃に鞭打って、ゲリラ戦を展開してみた
朝食は、ミルクで流し込めるシリアルに変えました。最後の悪あがきといったところです。
今振り返ると、まるでゲリラ戦を展開している兵士のようでした。銃剣を手にジャングルに潜み、反撃の機会を狙う――。でも味方は誰1人そばにおらず、孤立無援状態。食料もありません。
もう降伏しようよ。勝ち目ないじゃん。よそから見ていたら、絶対そう声をかけたと思います。
簡単に撤退ラインに達したことが意味するのは、明らかな負け戦です。だからこそ全面撤退なんですが……変に負けず嫌いが出て、粘ってしまいました。
ついに心折れて、あっけなくダークサイドに落ちた

「なんか毎日生きていても楽しくない」
気の置けない人と話すたびに、私はそうこぼすようになりました。
これまでのつらい日々を支えてくれた、手帳に張った松岡修造の笑顔を重く感じるようになりました。
駅のホームで仕事帰りの満足そうな顔をした人を見て、うやらましいどころか、恨めしく思うようになってきました。
週末の休みも気が静まりませんでした。月曜からまたサンドバッグだと思うと、趣味を楽しむ心の余裕はなくなりました。
なにかをする気力に欠け、寝ることが一番の楽しみになりました。部屋はどんどん汚れていきました。多少の乱雑を心地良いと感じる私でさえドン引きするほどの状態でした。
これは重症だ。私はようやくわかってきました。生きているのが楽しくないって、尋常じゃないよ。
それでもなお、退職を言い出せなかった私
もう決断しなきゃいけない。十分わかっていました。それでも最後の一歩を踏み出せませんでした。
この仕事を見つけるまで、どれくらいかかっただろう? なかなか仕事が見つからず、家族には白い目で見られたものです。
もしここで1年間我慢すれば、同職種へ転職できるだけのキャリアが手に入ります。今やめたら……未経験者の私に、この業界はもう無理かもしれません。
その一方で。1日でも職場にいるのが苦痛で、こんな生活はあと3ヶ月、いや1月だって無理だとわかっていました。
一番自分を知っている、自分の直感はやっぱり正しい
偶然に助けられて、退職のきっかけをつかむ

結果として、背中を押してくれたのは”偶然”でした。
退職しよう。そう決断させてくれたのは、為末大さんの『諦める力』という本でした(とても良い本なので、いずれ改めてご紹介したい)。
退却は前向きな戦略であり、恥ずべきことではない。そう繰り返し説かれている本を読んで、最後まで迷っていた心が決まりました。
もうひとつのきっかけは、仕事で少し大きなヘマをしたことでした。
「このままだとここに置くのは難しい」と難色を示した社長に、「考えさせてください」やっとそう言うことができました。
考えるもなにも、心の中ではとうに答えが決まっていました。ようやく私は、自分で自分を救い出すきっかけをつかみました。
自分を信じて、全速力で退却せよ
自分自身を一番よく知っている自分が、「ここまで行ったら、もう勝ち目ないよね」と判断したのが撤退ラインです。それはおおむね正しい、と個人的には思います。
もし私があのまま仕事を続けていたら、先にやめた人たちのように本当に体を壊していたことでしょう。精神的に追いつめられて、衝動的に会社から逃亡したかもしれません。
これを読んでいるあなたが、もしあまり勝ち目がなさそうな戦いに巻き込まれたら。どうか落ち着いて戦略を練ってください。
我が”自分軍”が死守すべきものはなにか(私は書くことが嫌いになって、創作に対する意欲を失うことだけは避けたかった)。どこまで攻め込まれたら、退却の判断を下すか。現実から目を背けずに考えてほしいと思います。
そして撤退ラインまで後退したら、荷物もライフルも全部かなぐり捨てて、全速力で退却せよ!
未来はわからないけれど、自分の可能性に賭けたい

戦いの行く末は誰にもわかりません。もしかしたら、このまま踏みとどまって逆転勝利もあるかもしれません。
それでも、運の要素が強いのは否めません。圧倒的に不利な状況なのですから。
ジャングルにひとり残ったゲリラ兵。はたして、ハリウッド映画のようにひとりで軍隊に立ち向かえるでしょうか?
可能性のあり・なしで言えば、もちろん「あり」です。試みがある限り、そこに可能性はあります。しかし、実現不可能なラインすれすれの可能性でしょう。
厳しい戦いでは、引き際を誤ると思わぬ深手を負う可能性があります。深い傷を癒やすには時間とお金が必要。玉砕の覚悟がなければ、退くより他にありません。
戦場に背中を向けて去るのは、とても勇気がいること。しかし、その決断をしなければいけない場面が、人生には1度や2度あるのではないでしょうか。
追記:全速力で退却した私。逃亡者のその後の人生
この記事を書いてから、数年が経ちました。
半年間も就職活動をして、やっと潜り込めた憧れの仕事。ようやくつかんだキャリアの機会をみすみす捨てた私が、その後どうなったか。気になってる人も多いのではないでしょうか。
久しぶりに記事を見返して、「この人、その後人生転落したのかな。それとも……?」って我が事ながらドキドキしました(笑)。
あれから、ほんとーにいろいろありました。振り返ってみるとやはり、この出来事は人生の転機でした。手短にまとめると、
- 文章を書く仕事に見切りをつけた(趣味の分野で感性を大事にしながら楽しもうと考えを改めた)
- これがきっかけで企業不信になり、結局はフリーランス&自営業の道を選んだ
- この受難時代の挿絵作成業務がきっかけとなり、デジタル絵画の講師を始めた(文章はけちょんけちょんにけなされたけど、絵だけは退職後に外注をもちかけられる程度には認められていた)
経済的にはキツキツです。毎月首の皮一枚でどうにかつなげている感じです。休みも週1取るのが精いっぱい。
でもあのままクラッシャー上司の元で自分を殺して、高スキルだけど魂は死んでいるような人間になるよりはずっと良かったです。それだけは断言できます。
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