親友の口から飛び出した、壮大なる運命論
内気な私と前向きな彼女、まるで正反対の2人
金曜日の夜。夕食を終えた私と友人は、カフェに移動しておしゃべりの続きを楽しんでいました。
友人は、昔在籍していた会社の元同僚。同じ歳の彼女は、なんでも本音で話し合える親友でもありました。
あれこれ考えすぎてネガティブに陥りやすい私に対して、友人は社交的で常に前向き。未だに独身の私と高校生になる2人の子どもを持つ彼女、同じ歳でこうも違うのかと周囲が見比べるほど正反対の2人でした。
私は友人に、「会社をやめようか悩んでいる」と打ち明けました。毎日何時間も説教されて、会社へ行くのが憂鬱でたまらないと弱音を吐きました。
すべてはヒストリーで決まっている

私の話を聞くと、彼女はこう語り始めました。
「すべては『●●(私の名前)ヒストリー』で、生まれる前から決まっていること。今ココアを飲んでいるのも、上司に怒られるのも。一見自分が選択しているように見えても、すべてはヒストリーで決まっていたこと。だから、落ち込んでも仕方がない。それなら楽しく生きる方がいいじゃない?」
あっけにとられている私に対して、友人は自信たっぷりな笑みを浮かべていました。
カフェは閉店間際で、客もまばら。辺りはしんとしていました。店内の客、そばにあるカウンターの店員もこの話に耳を傾けているかもしれません。みんな、どう思っているのだろう?
きっと、聞いている私の方がドキドキしていたと思います。だって彼女、「ヒストリー」とか言っちゃってますよ。
友人の大胆さに乾杯したくなりました。
ネガティブを超越したポジティブ論、ヒストリーの考え方
斬新な考え方に驚愕! でも、なにかがおかしい……
さすがはポジティブシンキングの女神。恐れ入った……!
私はしばらく圧倒されていました。
これまで読んできた自己啓発本、会社のことを相談してきた人たち、ネットの情報、そのどこからもこんな斬新な考え方は出てきませんでした。
「全部生まれる前から決まってるんだから、無駄な抵抗はしないで気分良く生きようよ」なんて言う人、書いてる人は1人もいなかったのです。
友人は占いが好きな方です。ヒストリーとは、「運命は星で決まってる」という占いによくある考え方に由来するのかもしれません。
あれ? でもなにかひっかかります。今ポジティブな考え方の話を聞いているはずなのに、この違和感はなんだろう……?
ポジティブの仮面をかぶった、超ネガティブ論

少し考えて、違和感の理由がわかりました。
ヒストリーとは、一見ポジティブに聞こえるものの、実は超絶ネガティブな考え方です。まさに、羊の皮をかぶったオオカミ!
なにをしようにも、すべてはヒストリーで定められた結果に過ぎない。いわば、“予言の書”に基づいて人の運命が決まっている、というのがヒストリーの考え方です。
つまり、自分がどんな行動をとっても意味はありません。ひとつ意味があるとすれば、それは「楽しく生きよう」という心の持ち方だけです。
あえて現実を諦めることで救われるときがある

ビジネスマンの信仰が篤い”ポジティブ教”
がんばることに疲れ切っていた私にとって、このヒストリー教(と勝手に呼ぶことにした)は救いの光のように見えました。
でも、本当にいいのだろうか? ヒストリー教を信じることは、正しいことなのだろうか?
頭の中はハテナだらけでした。ビジネスの世界において、自分の運命は「自分で切り開くもの」と言われています。私自身ビジネス書や自己啓発本が好きで、長くこの考えを信奉してきました。会社の上司もポジティブ教の熱烈な信者でした。
迷いつつポジティブ教に背を向けて、ヒストリー教に改宗
ヒストリー教では、ビジネス世界の基軸ともいえる実力主義を全否定しています。自分のとる行動は生まれる前から”決まっている”のですから、ヒストリーの前では実力など意味を成しません。
繰り返しポジティブ論を語る上司の話を聞きながら、私はヒストリー教への信仰を貫けるものだろうか?
確信はありませんでした。それでもこの晩、私はポジティブ教を捨てて、ヒストリー教へとひそかにと改宗したのでした。だってもう疲れたんだもの。
前向き思考に疲れたら、ヒストリーにゆだねよう
ポジティブ教も捨てきれない、自分の運命は自分で決めたい
ヒストリー教の登場により、私はカルチャーショックと呼べるほどの衝撃を受けました。「こんな考え方があるのか」と感動すら覚えたほどです。
しかし心の奥底には、ヒストリーの教えを受け入れることに懐疑的な気持ちがまだ残っていました。
やっぱり自分の人生は、自分の力で切り開いていきたい。運命を変えられる可能性を諦めたくない――。そう思うと、ヒストリ教ーの考え方に葛藤を覚えました。
私は仕事でも趣味でも、自分で研究しながら開拓するのが好きです。ただ言われただけの作業をこなす仕事には、物足りなさを感じてしまいます。だから「すべてを諦めなさい」といわれても、心の奥底では素直に応じられない部分がありました。
ポジティブ教とヒストリー教を両立させて人生の荒波を乗り切る
けれども、ヒストリー教のおかげで心のモヤモヤを吹っ切れたのは事実です。憂鬱だった気分が収まり、元の自分を取り戻すことができました。
そこでこう考えました。ヒストリー教は、少し休憩したいときに活用すればいいのかもしれない。
普段はポジティブ教を信じて、人任せにせず、自分の力で人生を切り開いていく。そこで疲れたら、ヒストリー教に切り替えて、運命の手に自らをゆだねる。努力を全部投げ出す。

この2つの考え方を使い分けることができたら、人生という荒波をうまく渡っていける気がするのです。
ハっ!
もしや、この結論に至ったのもヒストリー……?
「この記事を書くのも、生まれる前からヒストリーで決まっていたのよ」
もし親友に話したら、そう返してきそうな気がします。
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