ストレスに負けず自分らしく素直に生きる方法2.0

もし心に闇を抱えたら、人から必要とされる場所に身を置いてみようよ

time 2016/04/25

もし心に闇を抱えたら、人から必要とされる場所に身を置いてみようよ

心に深い闇を抱えたとき、人はどうすべきだろう?

心の闇を払う方法はあるのだろうか?

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素直に生きる方法を取り上げている当サイト、どんな方が訪問されているのかアクセス解析で検索キーワードを見ています。やはり、素直ゆえに傷付きやすい人が見てくれているようです。

あるとき、こんなキーワードを見つけてドキっとしました。「心に闇を抱えたときの対処法」、このキーワードで検索してきた人はどんな人だったのでしょう?

素直に生きている人は、どうしても心の守り方が苦手で、傷付いてしまいやすいもの。心がグレーの段階で自分を救い出す方法は、これまでにもいくつか書いてきました。

でも、心が黒くなってしまったと自覚するところまで行き着いてしまったら? もう他人の言葉も、どんなメンタル系のハウツーも自分の中に入ってこなくて、心の闇から抜け出せず、人を蔑むようになってしまったら? そこから抜け出せる術はあるのでしょうか。私なりに考えてみました。

まわりから必要とされないから、人は闇に落ちるのか

私自身は、心が完全に黒になった経験はありません。黒くなりかけた体験が何度かあるだけです。ですので、黒くなった心をどう白へ戻していくのか、はっきりした対処法はわかりません。

私はどちらかというと、論理より感情にとらわれがちです。そこで、弟に聞いてみることにしました。弟は私とは逆で、感情を抜きにした論理的思考をします。

「もしさ、心に闇を抱えてしまったらどうすればいいと思う?」

弟は、意外な方向から答えを寄越しました。

弟「オンラインゲームでもやればいいよ
私「??」

オンラインゲームの中には、見知らぬプレイヤー同士でパーティーを組んで進めるものがあります。そこに参加すれば、パーティーの一員として働きを求められる――つまりは、「必ず必要とされる」という理屈だそうです。

弟はこうも言いました。

弟「あのISだって、同じじゃん。(若者たちは)必要とされないからテロに走るんだよ」

もちろん、本当のところは彼ら自身に聞いてみなければわかりません。けれども弟の話を聞いて、人に必要とされないのも一理あるかもしれない――そう感じました。

人から必要とされないのは、どんな状態か

なぐさめの言葉に、「あなたが必要」はなかった

思い返せば、私にも心当たりがあるんです。人に必要とされなかった体験が。

あるとき、長く勤めていた会社から、突然契約終了を言い渡されました。まわりの人はいくらなぐめてくれても、「あなたは必要な人」とは言ってくれないんですね。「もっと他にいいところがあるよ」「ここにいても、ろくなことないって」と、見当違いもはなはだしい言葉ばかりかけられたものです。

でもひとりだけ、「この会社にはあなたが必要だ」そう言ってくれた先輩がいました。とても救われた気持ちになったのを覚えています。

失業期間中は家族から邪険にされて、自分の価値がゼロなのを嫌でも意識しました。いくら休み中に新しいスキルを身につけても、こうやってブログを書いたりしてみても、誰も私を必要とはしないのだという冷たい感覚は身を離れませんでした。

世界中敵だらけ。誰にもかえりみられなかった小中学校時代

あとは、子ども時代。いじめに遭って、村八分みたいな状態で5年間過ごしたことがあります。学年中が敵で、さらには後輩にも先輩にも汚れものを見るような目で見られ、隣の学校の生徒にまでバイ菌扱いされました。

頼りになるはずの担任は、事なかれ主義。机を蹴飛ばされて、その机が木製のドアを突き破った日には、私が叱られました。蹴飛ばしてきた相手ではなく――。その相手を睨みつければ、「●●さんが睨んでくるので、やめてください」と終わりの会で申告され、クラスメイトの前で頭を下げるしかありませんでした。

「一緒に帰ろう」と言ってくれる友達もいませんでした。父親には、ストレスで頭に十円ハゲができても、「いじめられるお前に原因がある」と同情すらしてもらえませんでした。

あの頃は世界がどれくらい広いのかも知らなかったけれど、世界中で私はひとりぼっちなのだと思っていました。幸い、精神面が未発達の子どもだったからどうにか生き残れたのだと思います。もし大人の精神状態であの状況だったら、心が壊れたか、歩道橋から身を投げたと思います。

そんな経験があるからですかねぇ。心のダークサイドって、ふとした拍子に転げ落ちてしまうような、かなり身近にあるような感覚があります。

人から必要とされる体験は、絶望に対する特効薬になりうる

死にたい人と人手不足にあえぐ現場

弟の話を聞いて、思い出したことがあります。

失業中どうにもテンションが低いとき、同じように病んでる人たちの掲示板を興味本位でのぞいていました。その中に、このようなコメントがありました。

『自殺するくらいなら、被災地に行ってボランティアでもしてやれよ』

似たような台詞は、自殺による人身事故ニュースのコメント欄でも見かけました。

世の中には死にたいと思う人たちがいる一方で、死ぬくらいなら手伝ってほしいと人手不足にあえいでいる現場がある。まさに正反対です。

死にたい人と手伝ってほしい人。もしこの需要と供給を満たすことができたら、双方幸せになれるのかも……? 両者を取り持つ機関があれば、世の中の不幸が少しは減るのかもしれません。

人に必要とされる喜びはプライスレス

転職を重ねる度に感じます。仕事のやりがいと給与のバランスは難しい――。

例えば、PCインストラクターのように人から必要とされて感謝されるような仕事は、総じて給与が低めです。やりたい人が多すぎて、余っています。スキル的に誰でもできそうだからというのも、もちろんあるでしょう。けれども、一番の人気の理由は、やりがいを強く感じられる仕事だからではないでしょうか。

実際インストラクターの仕事をしていたとき、同僚たちはみな教え好きで、それが生き甲斐だと口にしている人ばかりでした。給与が低いのも承知していて、同僚の半分程度は他の仕事を掛け持ちしていました。そこまでしてやりたい仕事なんだと驚いたものです。

インストラクターの仕事には、人を信じて真心を尽くし、それに応えてもらえるというやりがいがありました。個人的な見解ですが、このやりがいには数万円分の給与と釣り合うだけの価値があると思います。かつての同僚の大半も、給与が下がる一方のインストラクター職を今でも続けています。

人を求めている場所は、人手不足の職場やボランティアにある

こうして考えてみると、心に闇を抱えてしまったら、とにかく人に必要とされる場所に身を置く――これは応急処置として大変有効なように思えます。

人手不足にあえいでる職場、震災の復興支援や地域のボランティアもいいですね。受け取る金銭は関係ありません。本業を変えようとすると生活面におけるリスクが高いので、ボランティアの方が無難かもしれません。重要なのは、「そこに身を置くだけで必要とされ、感謝される体験ができる」ことです。

インターネットで探せば、そういった場所が少なくともひとつは見つかるはずです。ボランティアであれば、「急募 ボランティア」で検索してみてください。市区町村のボランティアセンターに問い合わせてみるのもおすすめです。起業精神が旺盛な人は、なんでも屋を始めるという手もあります。

世界のどこかに、あなたを求めている場所が必ずある

もちろん相手側にしてみれば、来てくれさえすれば、誰でもいいのかもしれません。しかし働くうちに、「誰でもいい」→「あなたがいい」→「あなたでなければ」と周囲の見方が変わっていきます。

すると、あなたにも変化が起きます。「必要とされたい」という受け身の姿勢から、「役に立ちたい」という能動的な気持ちが芽生えてきます。

人に必要とされる体験ができたら、心の闇はだいぶ軽くなるように思えるのです。

闇に心をとらわれなくなったら、今度は自分自身がやりたいことを探すのもいいでしょう。一度人を信じることを覚えたら、心はそう簡単には崩れません。

自分の心に素直生きている人ほど、詭弁を用いて身を守れず、心を黒く染めやすいもの。心が黒くなったと感じたら、人に必要とされる場所に身を置いて、人を信じるという感覚を思い出すようにしてみてください。そこが自分を救う足がかりになると思います。

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スミカ

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子供の頃6年近くに及ぶイジメを経験。大人になってからはなぜか会社運が悪く、お局社会やクラッシャー上司にぶち当たり、トホホな人生を歩む。心の癒しは猫。人友より猫友が多いのがひそかな悩み。★お悩み相談はワオミーで受付中です→ [詳細]

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